こんばんは。
役人コーチこと中小企業診断士の石田恵介です。
前回は、「公務員になる!」と決めたときのことを書きましたが、今回は公務員試験の受験勉強について振り返ってみます。
「公務員、辞めたらこうなれる」 ~役人コーチの独立開業記録~
その3 公務員試験の勉強
大学は附属校だったためエスカレーターで進学することが出来ました。
学部は法学部政治学科。
別に法律に興味があった訳でもありませんし、政治に興味があった訳でもありません。
単に当時、「一番就職率が高い」とか「公務員になる人が多い」と言われていたから、という理由だけでした。(実際、大学時代の仲が良かった友人7人グループのうち自分を含め5人が公務員になりました。)
合理的かつ合目的的な行動傾向は、この頃から変わってないのかもしれません。
また、大学1年の夏から独り暮らしを始めました。
実家から通えないことはなかったのですが、母親の「独りで生活できる能力を身に付けなさい」という教育方針?だったのか、家を出ることになりました。
家賃は払ってもらっていましたが、生活費はバイトで稼ぐことに。
月々のバイト収入は10万円以上あったと記憶しています。当時の大学生としては稼いでいた方だったと思います。
バイトはピザの宅配、居酒屋、カフェなど飲食店の厨房とホールを中心にやりました。今でも家の食事はほとんど自分が作っていますが、この頃の厨房経験が大いに役に立っています。
で、公務員試験ですが、1次試験が4年生のゴールデンウィーク明け。
民間就職は考えていなかったし、就職浪人はしたくなかったので2年生の春頃から勉強を始めました。
予備校に通う人も多かったようですが、高校受験も独学で第一志望に合格できたのと集団で勉強するのが苦手ということもあり、独学で受験することにしました。
ですので、大学2年生の頃からは、一部の出席必須のものを除き、授業にはほとんど出ることはなく、ひたすら大学の図書館で試験勉強に励んでいました。
平日の昼間は大学の図書館で試験勉強。夕方から夜にかけてはバイト。土曜日はデート。日曜日はサッカー。そんな感じの大学生活を送っていたような気がします。
たくさん勉強(試験の)したし、たくさんバイトしたし、たくさん遊んだ大学生活でした。
思い起こせば、人生で二番目に楽しかった時期かもしれません。もちろん、一番は「今」ですが。
また、一口に公務員といっても、選択肢は様々です。
調べてみるといろいろあるんですよね。
地方公務員・国家公務員という切り口以外にも、警察や消防で事務をやるっていう選択肢もあったし、国税専門官、裁判所事務官、国会の事務局職員等々。
また、別に自分が住んでいる地域じゃなくても受験できるし、3~4つは受験できたように記憶しています。
自分は「転勤しない」という前提があったので、国家公務員は選択肢から外しました。
また、東京か横浜で生活したいという希望もあったので、生まれ育った23区と実家のある横浜市の2つを選択しました。
また、面接で志望動機を聞かれたときに「生まれ育った大田区」「現在住んでいる北区」「実家のある横浜市」であるため、「住民でありかつ職員という立場で地域のために働きたい」というロジックが通用するのではという思惑もありました。
事実、内定をいただいた北区での面接は「現住民」でもあったため、とってもスムーズでした。
なお、試験勉強は結構大変でした。
中小企業診断士も科目数が広いですが、公務員試験もそれに匹敵するかそれ以上の範囲がありましたので。
ただ、択一式でしたので、覚えてしまえば難易度はそれほど高くなかったような気がします。
23区は、受験が終わった瞬間に「受かる」と思いました。「分からない」という問題がほとんどなかったので、おそらく100点に近かったんじゃないかと思います。
論文も阪神・淡路大震災があった年だったので、「防災」に関するテーマが出ると思い準備をして臨んだ結果、どんぴしゃでした。
横浜市は、受けた瞬間「ダメだ」と思いました。市政に関する問題が相当数出題され、全く分かりませんでしたので。
結果、予想通り、23区は2次面接も無事とおり、北区から内定をいただき、横浜市は1次試験であえなく敗退という結果となりました。
こうして、無事、公務員となり「転勤しない職業に就く」という1つの目的は果たしたのでした。
次回以降は、役所に入ってからのこと(仕事、結婚、子育て、モーグルなど独立を意識する前まで)について、数回に分けて振り返ってみたいと思います。
K&Rコーチング・コンサルティング 中小企業診断士 石田恵介
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